世界の岡本太郎が残した名言を考える!芸術は爆発だ

当ページのリンクには広告が含まれています。

日本はいまでは、世界先進国のなかでも産業と文化のトップを歩む国となりました。とくに1900年代はその傾向がとても顕著にあらわれており、各国では博物館や美術館で当時の作品を買い求める施設もたくさんあります。

ジャパンを代表するアーティストというと、その数は意外と限られており、どなたでも名前は必ず知っているというのがポイントです。

目次

岡本太郎(おかもと・たろう)

画像は、「太陽の塔」オフィシャルサイト https://taiyounotou-expo70.jp/ より引用

簡単にある人物をピックアップして考えると、それは岡本太郎です。若い世代でも一度は名前を見聞きしており、美術の学習では顔写真も目にしているのが基本となります。簡単にここで岡本について、解説をしていきましょう。

1920年に埼玉県で生まれた太郎は、12人兄弟の末っ子でした。実家は大根を育てる農家であり、決して裕福な家庭とはいえなかったわけです。母親と祖母は毎日太陽が昇る前から畑に行き、農作業をしていました。父親はいまでは尊敬される職業の弁護士でしたが、埼玉の田舎では依頼人も多いわけではなく、東京でひとりで暮らしながら事務所を切り盛りしていいました。

そして兄弟11人が全員、小学校を卒業してはすぐに農業をしていたのですが、岡本太郎だけは進学をして中学校にいきます。どうして末っ子の太郎だけは学校に行ったのかというと、当時の日本では健康診断の際にIQテストをしていました。この結果でIQ190という驚異的な数値をたたき出したことで、無償で進学ができたのが理由です。驚異的な天才の登場といわれ、県内有数の進学校に行ったものの、太郎はあまり普通とは言えない行動をしていたので、周りの学生とは打ちとけることはありませんでした。

まず内向的で自分から話をするということがなく、さらには毎日外で何十時間も太陽を見ているという風変わりなこともしていたわけです。同級生から岡本は変わりもの、教師からも天才のすることは理解不能と言葉を投げかけられていました。

その後、19歳になると、東京芸術大学へと進学をしました。国内でもっとも難しい美大というので有名でしたが、岡本はストレートで合格をします。

なぜ岡本太郎は美術大学に行ったのかというと、毎日お絵描きをしているだけでいいという、とても単純な理由だったからです。

確かに天才的な頭脳を持っている人物でしたが、決して勉強が好きであったというわけではありません。むしろ嫌いな方で、兄たちと同じく土をいじって一日を過ごしていたいと思っていた人物でした。ただし、絵心は幼い頃からとても高く、まだ保育園にいっているときでも、先生や同級生の肖像画を見事に描いて見せていたのです。

そんな太郎にとって最初に受賞をした作品が、太陽という名前の抽象画です。このとき、心の中で「芸術は爆発だ」という言葉を思い浮かべたと語っています。多くの方が一度は聞いたことがある有名な名言で、まさに岡本を象徴する名言としか言いようがありません。

いったいどんな意味を含めた言葉なのかを述べると、頭の中で理屈を考えるよりも、直観で描いた方が良いものが生まれるという意味です。最近でもこの精神を大切にするアーティストはとても多く、一切下書きを用意せずに直接描く技法になりました。

岡本は1960年、政府から大きな依頼を受けることになります。それは大阪で開催をされた万国博覧会の総監督であり、モニュメント・パビリオンのデザインを担当する業務です。太陽の塔というのがメイン会場で君臨をすることになり、現在でも大阪府の象徴になります。この塔の内部は人体と同じ構造のモニュメントで構成をされていて、岡本太郎の最高傑作になりました。

完成した1958年の除幕式でも、「芸術は爆発だ」という名文句を声高に叫ばれ、世界に発信をされています。どんな塔なのかを詳しく述べると、高さ20メートルで大きな巨人を模しているのが特徴です。一見すると人のようにも見えますが、岡本太郎は決して人ではないと言います。宇宙人か地底人だというのは、この世の存在では見て理解できないからというわけです。

芸術は爆発だという言葉の影には、戦時中の苦い経験もあるのが本当のところになっています。太郎は4人の兄を戦争で失くしており、爆発という言葉は決していい意味で語っているわけではありません。自分のやるせなさを体現しており、その苛立ちを拭うために芸術の道に進んだともいえます。

芸術は爆発だといまでは軽く口にする若者も多いですが、岡本を知り尽くしている学芸員などは笑顔でいうことは決してありません。

2025年に再び大阪で万博が開催をされますが、会場は遠く離れていても、太陽の塔を模したモニュメントは設置をされる見通しです。新しいデザインで再登場をする予定ですが、ここでもまた芸術は爆発だというセリフを誰かが発することは明確です。きっとこの世をさった岡本太郎も同じく声を発して喜ばれることがわかり、大阪の顔である太陽の塔もいままでと同じ存在になります。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次